KH 3-04
「ビビ……どこへ? どこへ向かってるんだ?」
ソラの問いかけに対してビビは無言だった。
おかしい、とソラは思う。あれだけ騒がしく喧しくうるさかったビビだ。ソラになにも告げず、無駄口もきかず、ただ黙々と走り続けるなんて。
ユグドラシルがどんどん遠のいていく。ソラは呼びかける。ビビは答えない。
これでは――――なんだ、これでは、誰も彼も置き去りにして、逃げ出しただけみたいだ。
そんなことはできない。今すぐ受け取ったヒスイの心を戻して、城に戻らないと。
けれど、どうやったら心は元の体に戻っていくのだろう?
カイリの時は――――そもそもソラは心を解放しただけだ。その後にどうやったら心は体に戻っていくのかなんて、考えたこともない。
「…………ん、んん。これでテイク126か。パターンごとの差分は面倒だな」
「え……?」
唐突に、ビビのカーナビ点灯した。人が映っている。画像が小さいせいか、男か女かもよくわからない。
「格好? つくものか? ……だったら今の部分、ちゃんとカットしてくれよ。
ルート毎にメッセージを変えてたなんて邪推させずに、余裕綽々で構えていた方がカッコいいだろ? 頼むよ。…………じゃ、編集点も作って。
――――さて……君がこれを見ているということは、私は既にこの世界にいないのだろう……」
「…………」
モニターに映る人物は厳かに切り出した(と思っているらしい)。
果たしてこの「君」というのが誰を指すのかはわからない。イレギュラーなソラやセキであるはずはない。順当にいけばヒスイだろう。
では、いったいこの人物は?
「これは万が一に備えたビデオメッセージだ。……すまないが、君には私の最後の希望をやってもらいたい」
「希望……?」
「私のたったひとつの希み。最後の光。開いてしまった箱の奥底に眠るもの。……君に託すのはそれだ。それを、あの中から開放してほしい。……そして、それは今、君の目の前にある」
あの中――――そう言って、モニターの中の人物が言及する。
ビビのフロントガラスに映っているのはたったひとつ。
ソラがセキとヒスイを見つけた、あの建造物だ。
「あれの……中……?」
「そう。……驚いているだろう。理由がある。教えよう。なぜこうも回りくどいことをしたのかも合わせてね。
……その前に聞いておこうと思う。君はあのユグドラシルをどう思った?あの城とこの世界。その城主、この世界の住人についてだ」
「それは……」
「いびつだろう? 君はそう感じたはずだ。『あり得ない』『起こり得ない』、その様を幾度も見たはずだ。これがこの世界。
境界線上の世界。光と闇。表と裏。希望と絶望。ウソとマコト。
あらゆる要素をないまぜにしたのがこの世界…………存在しなかった世界というのも語弊があるな……そう、あり得るはずのない世界」
モニターの人物はそう断じた。乱暴で独りよがりなレッテルの貼り方だが――――それを否定することが、ソラにはできない。
否定したい欲求は胸の奥からふつふつと湧いてくる。しかし、どうにもそれがうまく言葉に伝わらない。
死者の世界。彼岸。無貌の王はそう言っていた。
生きているソラが、果たしてそれを否定していいものなのだろうか?
この世界を決めるのはこの世界の住人ではないのか?
さりとて――――心がうまく言葉にならない。ちりちりとなにかがくすぶっている。
「ここは他の世界の可能性の種を、たったひとつのカタチに集約したものだ。それがあのユグドラシルであり、無貌の王でもある。
だからここではあらゆることが起こり得る。こんな荒涼とした世界に巨大な樹木が育ったり、ハートレスがヒトの形を成したりね。
その『あり得ない』を……この世界を破壊する。この世界を境界線上の狭間から、正しい世界に引きずり出す。それが私の存在理由といってもいい」
――――何故、この人はここまで自分の世界を破壊したいのだろう。
そうまで断言して、自分の形を固めてまで。なぜ?
喉を焼く衝動とは別に、ソラの心に湧いてきた疑問。この顔も見えない誰かはいったい――――?
「受け取ってほしい。私の希望を」
岩陰に隠れた秘密の入り口から、ビビは最初にその箱のような建造物から出てきたのと同じように建物の中に進入した。
薄暗い中、ビビは停車した。ぱたりとドアを開け、無言で降りるように促している。
ソラはリクとヒスイをビビから下ろした。どちらか起きてくれれば、ソラもずっと楽になるのだが。
「…………センセイ」
ふいに、ふたりを降ろし終えたソラに、ビビが声をかけてきた。心なしか、その声はくぐもっている。
「喋れたのか?」
「ロックされとっただけです。……どうもこいつ僕の――――いややめましょ。センセイに一言、言っておきたかったんです」
「なんだよ……急にさ」
「僕……セキのヤツもそうだったみたいですけど、ヒトじゃない僕らによくしてくれてありがとございます」
「……どうしたんだよ」
「僕らは人間じゃないから、しゃーないんです。ヒトに押し付けられた仕事をマットーして、おしまいなのは普通なんです。けど、その間……短かったですけど、面白おかしくやらせてもらえました」
やめてくれ。そう叫びたかった。ここで今すぐビビまで消えていってしまいそうだ。そんなのは……悲しい。
思わず駆け寄ってソラはビビのボディに手をついた。薄い板金がぺこりと歪み。
「――――どうしたんだ? 私の希望を受け取ってはくれないのか?」
また、あのモニターからの声が場を支配した。ビビは沈黙した。
――――否。このモニターの声が、ビビの自由を封殺しているのだ。
「おまえ……!」
「……君が私の希望たり得ないなら、私にも考えがある。私の希望ごと、君にはこの建物の下に埋もれてもらう」
「ふざけるな!さっきから勝手なことばっかりいって……!」
「私は本気だ。証拠を見せよう」
途端に、ビビが爆発した。
赤々とした炎の柱がビビを一瞬で溶解し、ぶすぶすとした黒い炭が粉雪のようにぱらぱらと散り仕切る。
――――ソラは、事態を理解するのに3秒を要した。
「彼女を連れて、上に登れ。すぐにだ」
ソラの怒号に冷徹な言葉が蓋をする。
怒り/憎しみ/悲しみ/哀しみ/やるせなさ/諦め/嘆き――――爆発の瞬間を掴み損ねた感情のカオスがドロドロと腹の奥底で煮込まれる。気持ちがわるい。
石のような体を引きずって、ソラは言われるがままにヒスイを担ぎ、リクを置いて上に登った。
はじめてヒスイとセキを見つけた場所だ。
中心に立つと、床は淡く光を放つ。光のラインが円を描き、幾何学模様を彩る。その形はさながらに万華鏡。
その中心に立つソラの真下に――――鍵穴。
「そこにヒスイを寝かせろ」
ソラはヒスイをその場に寝かせた。途キーブレードが脈動するのを感じる。ヒスイの下。鍵穴に反応している。
導かれるままに、キーブレードを鍵穴に差し込む。
ソラの中にいたヒスイの心が、キーブレードを通じて床の文様に流れる。鍵穴が消滅し、ヒスイの体に熱が戻っていく。
――――ヒスイはただ心を奪われただけではなかった。ただハートレスに心を食われたのではなかったのだ。
カイリがそうであったように、彼女もまた自分の心を隠したのだ。
この場の鍵穴は安全装置。これを開ける人間――――すなわちキーブレードの勇者がこの世界に訪れるまで決して解けない封印を施して、この建物の中で時間を凍りつかせていたのだ。
「…………そら」
ヒスイが名前を呼んだ。キーブレードに触れる。弱々しく開かれた唇が、感謝の心を伝えていた。
ありがとう。
泣いてくれるんだね。私のせいで。
「…………なんで、俺の名前を?」
「よく知っている。君のことは。あの子がよく話してくれたからね」
「あの子……誰?」
「わからないか。……だが、その子には願いがあった。私はそれを利用した。君をここに呼んだのは――――私だよ。
……けれど、君はあの子を知らない。まだ今は。いつかあの子の心を癒す……そんな日がくるかもしれないがね」
「わかんないよ、そんなの。……ああ、くそ。わからないことばっかりだ。なんだよ、これ……なんなんだよ!」
「何も知らず、何も聞かず、何も見ず……心を空にして、正しき事を成す。――――なるほど、そのキーブレードのマスター足り得る『正しい資質』を、おまえは体現しているようだな」
ヒスイではない。声がする。あの声と同じだ。ビビを爆発させた声だ。
背後で靴音が鳴る。ソラの目はそれを追いかけた。
黒いブーツ。白いコート。灰色の髪。佇まいから、相応に年老いた印象を受ける。
「おまえは……?」
「……セキ。セキ・グレン」
ソラの問いかけに対してビビは無言だった。
おかしい、とソラは思う。あれだけ騒がしく喧しくうるさかったビビだ。ソラになにも告げず、無駄口もきかず、ただ黙々と走り続けるなんて。
ユグドラシルがどんどん遠のいていく。ソラは呼びかける。ビビは答えない。
これでは――――なんだ、これでは、誰も彼も置き去りにして、逃げ出しただけみたいだ。
そんなことはできない。今すぐ受け取ったヒスイの心を戻して、城に戻らないと。
けれど、どうやったら心は元の体に戻っていくのだろう?
カイリの時は――――そもそもソラは心を解放しただけだ。その後にどうやったら心は体に戻っていくのかなんて、考えたこともない。
「…………ん、んん。これでテイク126か。パターンごとの差分は面倒だな」
「え……?」
唐突に、ビビのカーナビ点灯した。人が映っている。画像が小さいせいか、男か女かもよくわからない。
「格好? つくものか? ……だったら今の部分、ちゃんとカットしてくれよ。
ルート毎にメッセージを変えてたなんて邪推させずに、余裕綽々で構えていた方がカッコいいだろ? 頼むよ。…………じゃ、編集点も作って。
――――さて……君がこれを見ているということは、私は既にこの世界にいないのだろう……」
「…………」
モニターに映る人物は厳かに切り出した(と思っているらしい)。
果たしてこの「君」というのが誰を指すのかはわからない。イレギュラーなソラやセキであるはずはない。順当にいけばヒスイだろう。
では、いったいこの人物は?
「これは万が一に備えたビデオメッセージだ。……すまないが、君には私の最後の希望をやってもらいたい」
「希望……?」
「私のたったひとつの希み。最後の光。開いてしまった箱の奥底に眠るもの。……君に託すのはそれだ。それを、あの中から開放してほしい。……そして、それは今、君の目の前にある」
あの中――――そう言って、モニターの中の人物が言及する。
ビビのフロントガラスに映っているのはたったひとつ。
ソラがセキとヒスイを見つけた、あの建造物だ。
「あれの……中……?」
「そう。……驚いているだろう。理由がある。教えよう。なぜこうも回りくどいことをしたのかも合わせてね。
……その前に聞いておこうと思う。君はあのユグドラシルをどう思った?あの城とこの世界。その城主、この世界の住人についてだ」
「それは……」
「いびつだろう? 君はそう感じたはずだ。『あり得ない』『起こり得ない』、その様を幾度も見たはずだ。これがこの世界。
境界線上の世界。光と闇。表と裏。希望と絶望。ウソとマコト。
あらゆる要素をないまぜにしたのがこの世界…………存在しなかった世界というのも語弊があるな……そう、あり得るはずのない世界」
モニターの人物はそう断じた。乱暴で独りよがりなレッテルの貼り方だが――――それを否定することが、ソラにはできない。
否定したい欲求は胸の奥からふつふつと湧いてくる。しかし、どうにもそれがうまく言葉に伝わらない。
死者の世界。彼岸。無貌の王はそう言っていた。
生きているソラが、果たしてそれを否定していいものなのだろうか?
この世界を決めるのはこの世界の住人ではないのか?
さりとて――――心がうまく言葉にならない。ちりちりとなにかがくすぶっている。
「ここは他の世界の可能性の種を、たったひとつのカタチに集約したものだ。それがあのユグドラシルであり、無貌の王でもある。
だからここではあらゆることが起こり得る。こんな荒涼とした世界に巨大な樹木が育ったり、ハートレスがヒトの形を成したりね。
その『あり得ない』を……この世界を破壊する。この世界を境界線上の狭間から、正しい世界に引きずり出す。それが私の存在理由といってもいい」
――――何故、この人はここまで自分の世界を破壊したいのだろう。
そうまで断言して、自分の形を固めてまで。なぜ?
喉を焼く衝動とは別に、ソラの心に湧いてきた疑問。この顔も見えない誰かはいったい――――?
「受け取ってほしい。私の希望を」
岩陰に隠れた秘密の入り口から、ビビは最初にその箱のような建造物から出てきたのと同じように建物の中に進入した。
薄暗い中、ビビは停車した。ぱたりとドアを開け、無言で降りるように促している。
ソラはリクとヒスイをビビから下ろした。どちらか起きてくれれば、ソラもずっと楽になるのだが。
「…………センセイ」
ふいに、ふたりを降ろし終えたソラに、ビビが声をかけてきた。心なしか、その声はくぐもっている。
「喋れたのか?」
「ロックされとっただけです。……どうもこいつ僕の――――いややめましょ。センセイに一言、言っておきたかったんです」
「なんだよ……急にさ」
「僕……セキのヤツもそうだったみたいですけど、ヒトじゃない僕らによくしてくれてありがとございます」
「……どうしたんだよ」
「僕らは人間じゃないから、しゃーないんです。ヒトに押し付けられた仕事をマットーして、おしまいなのは普通なんです。けど、その間……短かったですけど、面白おかしくやらせてもらえました」
やめてくれ。そう叫びたかった。ここで今すぐビビまで消えていってしまいそうだ。そんなのは……悲しい。
思わず駆け寄ってソラはビビのボディに手をついた。薄い板金がぺこりと歪み。
「――――どうしたんだ? 私の希望を受け取ってはくれないのか?」
また、あのモニターからの声が場を支配した。ビビは沈黙した。
――――否。このモニターの声が、ビビの自由を封殺しているのだ。
「おまえ……!」
「……君が私の希望たり得ないなら、私にも考えがある。私の希望ごと、君にはこの建物の下に埋もれてもらう」
「ふざけるな!さっきから勝手なことばっかりいって……!」
「私は本気だ。証拠を見せよう」
途端に、ビビが爆発した。
赤々とした炎の柱がビビを一瞬で溶解し、ぶすぶすとした黒い炭が粉雪のようにぱらぱらと散り仕切る。
――――ソラは、事態を理解するのに3秒を要した。
「彼女を連れて、上に登れ。すぐにだ」
ソラの怒号に冷徹な言葉が蓋をする。
怒り/憎しみ/悲しみ/哀しみ/やるせなさ/諦め/嘆き――――爆発の瞬間を掴み損ねた感情のカオスがドロドロと腹の奥底で煮込まれる。気持ちがわるい。
石のような体を引きずって、ソラは言われるがままにヒスイを担ぎ、リクを置いて上に登った。
はじめてヒスイとセキを見つけた場所だ。
中心に立つと、床は淡く光を放つ。光のラインが円を描き、幾何学模様を彩る。その形はさながらに万華鏡。
その中心に立つソラの真下に――――鍵穴。
「そこにヒスイを寝かせろ」
ソラはヒスイをその場に寝かせた。途キーブレードが脈動するのを感じる。ヒスイの下。鍵穴に反応している。
導かれるままに、キーブレードを鍵穴に差し込む。
ソラの中にいたヒスイの心が、キーブレードを通じて床の文様に流れる。鍵穴が消滅し、ヒスイの体に熱が戻っていく。
――――ヒスイはただ心を奪われただけではなかった。ただハートレスに心を食われたのではなかったのだ。
カイリがそうであったように、彼女もまた自分の心を隠したのだ。
この場の鍵穴は安全装置。これを開ける人間――――すなわちキーブレードの勇者がこの世界に訪れるまで決して解けない封印を施して、この建物の中で時間を凍りつかせていたのだ。
「…………そら」
ヒスイが名前を呼んだ。キーブレードに触れる。弱々しく開かれた唇が、感謝の心を伝えていた。
ありがとう。
泣いてくれるんだね。私のせいで。
「…………なんで、俺の名前を?」
「よく知っている。君のことは。あの子がよく話してくれたからね」
「あの子……誰?」
「わからないか。……だが、その子には願いがあった。私はそれを利用した。君をここに呼んだのは――――私だよ。
……けれど、君はあの子を知らない。まだ今は。いつかあの子の心を癒す……そんな日がくるかもしれないがね」
「わかんないよ、そんなの。……ああ、くそ。わからないことばっかりだ。なんだよ、これ……なんなんだよ!」
「何も知らず、何も聞かず、何も見ず……心を空にして、正しき事を成す。――――なるほど、そのキーブレードのマスター足り得る『正しい資質』を、おまえは体現しているようだな」
ヒスイではない。声がする。あの声と同じだ。ビビを爆発させた声だ。
背後で靴音が鳴る。ソラの目はそれを追いかけた。
黒いブーツ。白いコート。灰色の髪。佇まいから、相応に年老いた印象を受ける。
「おまえは……?」
「……セキ。セキ・グレン」