KH 3-08
赤い閃光。
二条のそれが闇を裂いた。初手を避け、二手目を受ける。キーブレードが悲鳴とともに火花を上げる。
刃金と刃金が交差する。熱量が散る。闇が破裂する。ソラは顔を歪めた。
両刃の武器がソラの頭上を越えていく。鎧の拳が上着を掠める。赤い光剣をキーブレードでいなし――――とうとう、黒い腕がソラの肩を押し込んだ。
「卑怯だぞっ……!」
6対1だ。捌き切れるはずもない。
屈強なハートレスの黒い腕に押さえ込まれたソラを、浅黒い肌の女性が見下した。肩にキーブレード然とした武器を担ぎ、吐き捨てる。
「『世界の心のキーブレード』。計画には必須だ。そしておまえは私の生贄としても良質。――――手を抜く理由もあるまい」
空手を虚空に掲げ、闇を掴む。闇は剣の――――否、鍵を象った。
『人の心のキーブレード』。
リクが、そして無貌の王が握っていた代物と同じレベル。そのふたつと相対したソラの直感がそれを伝えた。
「なんでおまえが……!」
「私がこれを持てて、なんの疑問がある?」
混乱するソラに『人の心のキーブレード』を突きつけた。
リクの使っていたものとは違う。プリンセスの心ではない。
無貌の王は言っていた。心をかき集めたのだと。世界で7人のスペシャルを、誰もが持っている心の最も純粋な一雫を積み重ねることで代用し、作り上げた代物なのだと。
必要なのは膨大な心。抽出の手間。時間。気が遠くなる様な話のはずだ。
一朝一夕で実現など、およそ不可能だ。であるならば――――!
「……おまえ、まさか……」
「その通り、無貌の王をジャンクションしたんだよ。
……尤も、そうでもしなければこの『光の守護者』のひとりをここまで完全に屈服させるなど、できるはずもなかったのでね。
この女の屈服が楽だったおかげで、すんなりロクサスも落とせたよ。見るか?」
「どうするつもりだ……みんなの心を返せ!」
「吼えるなよ。何事もバランスだ、若きキーブレード使いよ。光と闇の拮抗こそが、世界を正しい姿に導くのだ」
「なにがバランスだよ……みんなを滅茶苦茶にして!なにが正しい姿だ!」
「……やはり、視野が狭い。……この男といい、キーブレード使い特有だな。考えてもみろ。
折角、こうしてクズからここまでの力を昇華できる術があるのだ。手に入れ、試してみねばなるまいて」
女は笑った。顔を歪め、ソラの頬をキーブレードの先で叩く。
――――聞く耳を持っていなかった。
自分の正しさを頑なに信じ、自分の心に準じる生き方。
正しく――――本当に正しく、キーブレードに選ばれた勇者の生き方だ。
だが、ソラはそれを認めるわけにはいかない。
踏みにじられた。この体ではない。大切な仲間と友達の心を。
――――この『男』は。
「……許さない!」
「だとすればどうする? その怒りのまま、闇の力を求めるか? たとえ闇を手にしたところで、おまえの付け焼き刃では勝てんぞ、この私に」
「――――違う。俺の武器は力じゃない」
『男』の顔が疑念に揺れた。一抹の不安。焦り。困惑。
意味深に、遠回しの言葉を多用して相手に意味をまっすぐ伝えない『男』が、今度はソラの言葉の意味を取りあぐねいている。
「なにを……っ?」
『男』の『人の心のキーブレード』を掴んだ。『人の心のキーブレード』の刀身に緑色の閃光が波紋のように伝播した。
波紋がキーブレードの取っ手を伝い、『男』の手に到達する。
『男』の表情がまた歪んだ。
「貴様……!」
恫喝する。『男』は理解したのだ。ソラのやろうとしたことを。
キーブレードを伝い、この女性の体の神経《サーキット》を走り、『男』に接続《ジャンクション》するつもりだ。
さながらそれは綱引きだ。であれば、無貌の王を吸収して手を増やし、慎重に細い糸を手繰り寄せた『男』にも敗北の芽が出てきてしまう。
「ちっ……力を貸せ!」
『男』が吼えた。周囲の5人がそれに応じ、『男』が黒色のオーラを噴き出した。蒸気機関の白煙のように、身体中から黒い覇気が滝のように発せられる。
心を縛る拘束が一気に強まった。手の数は単純に5倍。ソラひとりではおよそビクともできないほどに強固に変わる。
『――――だが、俺の拘束は甘くなったんじゃあないかなぁ?』
耳を舐めるようにねっとりと発せられた言葉は、『男』は背筋を震わせた。
「バカな……無貌!貴様ぁぁぁ……!!」
『吸収という手段は実に良いぞ。およそ私を封印だの討滅だのを狙うより、よっぽどベストだ。封印なんておよそ不可能だし、滅するなど……くくっ、なんだ?それうまいのか?
私の力を発散させて抑止する分を減らすアプローチはベストだよ。太鼓判を押そう。ナデナデしてやろうか?ん?』
だがね――――背後から頬を冷たい手で撫でられるような不快感がソラと『男』を同時に襲った。
キーブレードを伝う波紋が共振を始める。刀身は震えを大きくする。もくもくと黒煙が噴き出してくる。
『アクアとソラ、ふたりの勇者と余を一度に抑えられるわけでは、ないようだな?
おかげで口出し程度させてもらえるようになったのでな……こうして挨拶に参った次第である。
案ずるな。今の余の力程度では、貴様もアクアも屈服させて表に出るなど、とてもとても』
キーブレードから膨大な闇を噴き出しながら、無貌の王は言った。――――白々しい。キーブレードという『心』を媒介にここまでの濃度の闇を送り込めるような力がありながら。
――――ソラにももう、この無貌の王の意図は理解できた。
この無貌の王はソラと『男』の戦いを「観戦」する気なのだ。それも「プレイヤー視点」という超級の特等席で。
『でもぉ、これってちょっと……チート過ぎない? 探求者《ザ・フール》。私を吸収って。私これでもラスボスよ?』
「……私の実力だが?」
『笑えない結果論だよ、それ。……ま、しょうがないからそれに従ってやるとしよう。
ジャッジマスターのこの僕が、厳正なるゲームジャッジを下してやるよ。まず拘束は甘い。この通り僕は指一本、舌一枚程度に自由がきく。
…………チートをノーリスクで使えると思っている思い上がりに、ロウの裁きを与えるよ。この自由な指一本分、勇者に力を貸すとしようか』
「指一本……?」
『何ができると思う?――――何も。何もできはしない。ただ少し……背中を押してやる程度だ』「なに……?」
『男』の顔が一層険しくなる。同時に。
キーブレードから噴き出した闇が、像を結んだ。
編まれたのは腕。そして脚。胴。そして頭。五体が繋がり、一個の人体を吐き出した。
『少々、私としても情けない話だがね。こうして闇に落としたばかりの出来合いしか用意できないんだ。
いやまいった。料理下手な新妻気分だよ。まぁ――――こんなものでよければ、召し上がれ』
そう言って、無貌の王が指した人体。
ソラは知っていた。
「セキ……」
ハートレス・セキのものだ。ソラの傍でうつ伏せに倒れている。
慌てて手を差し伸べようとして、心がそれを制止する。
セキの目。暗く鈍い光を放っている。
――――ソラが幾度となく相手にし、斬ってきたハートレスのものだ。
「どうやら……ただの『使い魔』を寄越しただけのようだな」
『男』は断じ、ソラに前蹴りを食らわせた。ソラが吹っ飛ぶ。よろよろと靴底で床を掴み、キーブレード両手で握った。
無貌の王の介入はこれ以上見込めないだろう。
相手は6人。ぐるりとソラの周りを取り囲んでいる。逃げ場はない。
戦う。しかし――――どうやって――――?
「無貌の王の『使い魔』……であれば、その因子を持ったこの私の言うことに従うはずだな?」
『男』がセキに手を差し伸べる。セキは虚ろな目でそれを見上げている。さながら従順な飼い犬のように。
行け。『男』が静かにそう命じる。セキは機敏な動作で跳ね起きて、両腕を黒い鎌に変形させた。
ソラは生唾を飲み込んだ。キーブレードを握り直し。集中――――。
セキが仕掛けた。
『男』を斬る。