KH 4-01
セキの強さは圧倒的だった。
体を変形させ、巧みに避けては肉薄する。攻撃動作と回避動作が同時であり、攻撃と防御を同時にこなせない対象は防戦に徹する他はなかった。
雷光のバリアを突っ切り、黒コートの男に爪を突き立てた。フード破け、男の顔が露わになる。
男の素顔。それを取り立てる人間はどこにもいない。
それだけに、このセキの存在は厄介だった。
なにせリスクを犯してまで相手にする必要がない。粉々に砕けた脆い心だ。
しかし無視できない。ソラを追うことも放棄して抑えに回らなければならないほどに。
相手はハートレスだ。常識も倫理も正義もない。背中を向ければ真っ先に切られるだろう。
「……」
アクアを乗っ取った『男』は苛立っていた。内在する『無貌の王』の抑えもある。先陣を切るわけにはいかない。
最早、一瞬でも指一本程度さえ『無貌の王』を自由にさせるわけにはいかなかった。今度こそ合体・巨大化しだしてもおかしくない。
しかもある程度他の5人から力まで貸してもらっている。いつもよりも性能が落ちた5人と心を殺した獣身のハートレス。
戦況はシーソーだ。バランスが悪い。安定しない。隙を見せれば一気に傾く。
白衣が焦げる。鎧が溶ける。武器まで焼ける。未だ健在のセキの炎と歪な体は、各々の感覚を狂わせていた。
「――――どけ!」
アクアの『男』の傍で怒声が響いた。一番にセキが視線を走らせる。
ロクサスが、立っていた。
「バカな……貴様、落ちたはず!」
「約束があるんだ……邪魔をするな!」
そう叫んで、ロクサスは両手を広げ――――キーブレードを握る。
2本。
右手が黒ずみ、左手が白く染め上げられた。闇と光。二刀一対のそれを目の前で交差させ火花を散らした。
セキの動きが、止まった。
瞬間――――セキが、吼えた。
「ハートレスが……感情を出しただと……!?」
『おまえ、アレを誰の指一本分だと思ってる? 俺だよ俺』
「貴様は黙っていろ、たかが多重存在が……!」
『…………いいから見ろ。この私の指一本の炎をな』
セキの咆哮に怖気る素振りを見せず、ロクサスは2本のキーブレードを携えて歩み寄る。
そして、キーブレードの間合いまで進み、ようやくロクサスは足を止め、セキの咆哮も止まった。
幾拍かの静寂が闇に溶ける。
セキはただ、じっとロクサスを見ていた。
ロクサスは不意に、口を開く。
「ヒスイには会えたのか?」
セキは答えない。
「そうか。なら約束はまだ果たせてないな」
セキは答えない。
「……おまえ、そんなになっても変わってないな。そのままだ」
セキは答えない。
「心が脆い。――――だから、果たせないんだ。約束も」
セキが吼えた。
恨み。悲しみ。情けなさ。怒り。それら一切が絡み合う轟き。
瞬時に両腕が鎌に変形した。赤々とした炎を刀身に走らせ、両方からロクサスの首を狙う。
しかしロクサスの突きの方が一瞬早い。セキは後方に吹き飛ばされる。
よろよろと体を震わせるセキ。何度もその場で足踏みをしている。足取りがおぼつかないのか、それとも攻撃にかかる準備運動か。
どちらでもいい――――そう決して、ロクサスは再びキーブレードを構えた。
セキよりも強い者として。/心を導く年長者のように。
同じく闇の住人として。/そのあり方を指し示すために。
キーブレードを使う存在として。/理不尽に暴れる獣を調伏するために。
ひとりの友人として。/その過ちを正してやるために。
――――魔を断つ剣を取る。
「来いよ、俺が消してやる。……約束通りにな」
ソラは走る。階段を駆け下り、ビビの残骸を横目に、淡く光るライトが照らした道を行く。
螺旋状の坂道を下り、やがて辿り着いたのは――――耳鳴りがするほど広く、薄暗く、冷たい空間だった。
もうこれ以上地下には行けない。そういった階段は見当たらない。
空間は先にずっと続いている。遠く見える淡い光。それを目指してソラは歩く。
そして――――。
淡い光の輪郭がはっきりと長方形に見えてきた頃、ソラの行く手を人影が阻んだ。
黒いフルフェイスのヘルメットで顔を覆い、紺色のラバースーツを着たその姿は、いつかのリクを思い出した。
その影は徐にキーブレード――――ソラが見たこともないタイプだ――――を構える。腕を上げた上段の構え。リクに似ている。
「誰だっ……!?」
ソラの疑問に答える声はない。影が闇に紛れ、キーブレードをふるった。
避ける。しかしキーブレードは追ってくる。二刀目。寸前で回避。
――――さらに踏み込み、三刀目。二度の回避で完全に体勢は崩された。避けきれない。
ソラのキーブレードが受け止めた。火花が散る。闇が一瞬昼間のように明るくなった。
顔の無い怪物がキーブレードで火花を斬る。
二度目の斬り結び。三度目、四度、五度――――回数を重ねる度に剣の重みは増していく。
六度目にはソラの手はしびれ、七度目でキーブレードは闇を舞った。
キーブレードに飛びつく暇もなくソラは顔の無い怪物に蹴り飛ばされた。床を転がり、体を強かに打ちつけた。
「くっ……」
強い。そして隙が無い。
相対していると否応無く晒される圧迫感。息を呑むような連続攻撃だ。
おそらくこの顔の無い怪物は――――ソラよりも強い。
「おまえは……誰だ!?」
顔の無い怪物は答えない。キーブレードを握る。リクと同じように構えて、無言でソラに近づいてくる。
ソラは今丸腰だ。キーブレードは遥か遠くに飛んでいった。手を伸ばして呼ぶには時間がかかりすぎる。
先ほどのようにもう一本のキーブレードもどうやら呼び出すことができない。どうも別の誰かが使っているようなのだ。
この顔の無い怪物から意識を外してキーブレードを呼ぶなど、できない。だが丸腰のままではどちらにしても――――。
ソラは奥歯を噛む。どうすればいい。
なにかないか。なんでもいい。今のソラにできることは。
「…………!」
意を決した。ソラは地面を蹴った。一直線、真正面から怪物に突っ込んだ。
顔の無い怪物がキーブレードを振りかざした。鋭い踏み込み。ソラに合わせた縦一文字の一閃。
――――怪物の剣先に、服の切れ端が絡みついた。
「…………」
顔の無い怪物が背後に視線を走らせた。上着を刻まれながらもソラは怪物の脇をすり抜けた。怪物の後ろ――――向かうべき部屋に向かって走っている。
ソニックレイヴの応用だ。一瞬のスピードを急激に高め、顔の無い怪物の攻撃のタイミングから逃げたのだ。
キーブレードのないソラに、顔の無い怪物と正面から戦える魔法の力は無い。精々頑張ってもこの程度――――タイミングを図って、一度攻撃をやり過ごすのが限界だ。
脇目も振らず、キーブレードの端のチェーンを指に引っ掛け、ソラは走る。次は無い。同じ手であの怪物はかわせない。ならば逃げる。先に用事から済ませたい。
ソラは光の中まで逃げおおせた。怪物は、追ってこなかった。
――――ソラの背後で、剣戟が響いた。