KH 4-02
セキが咆哮する。
ロクサスとふたり、取り囲むように炎の壁が円形にせり立った。
変形したセキの爪がロクサスの2本のキーブレードを受け止めた。がりがりと金属が削れる音が耳を突く。
鍔迫り合いを制したのはロクサスだった。セキは両手ごと後ろに吹き飛ばされる。怯むセキを肉薄する。後退するセキ。自分で作った炎の檻を自分の背中に背負うまで、そう時間はかからなかった。
セキが吼える。痩せ細った野犬のようなそれをロクサスは文字通り一蹴した。吹き飛ばされたセキにキーブレードを十字に叩き込む。
「……」
ロクサス閉口していた。既に言葉は尽くした。言うべき言葉はない。説得の言葉はもう、ない。
あとは約束のため、せめて綺麗に消してやるだけだ。だが。
――――あの6人を圧倒したほどのハートレスが、こうもあっさりと。
ひとかけらの疑問があった。ロクサスには本気を出していないのではないか。その理由は――――なんだ?
心が残っている? 馬鹿な。もう言葉では解決できない。それは確かな感触だ。
仮にそうだったとして、ロクサスに何か出来るのか? ――――知るものか。俺だって心なんて持っていないんだ。心なんて、心のことなんて、知るものか。わかるものか。
どうしようもない。
仮にそうだったとして、ロクサスには何もできない。
仮にそうだったとして、運が悪かったよ諦めてもらう他はない。
ロクサスに出来るのはこれだけだ。祈るように感傷を言葉に表して、悼んでやるだけだ。
「……生まれ変わったら会おう」
口にして、酷く頭痛がした。胸の奥がざわざわする。落ち着かない。
――――既視感。
そう。さっきから(いつから?)止まらない。
胸の奥がちりちりとする。熱がこみ上げてくる。――――切なさ。
このハートレスと相対して。
あの6人に取り囲まれて。
ヴァニタスを見て。
アクアに会って。
ソラを見つけて。
この世界にきてからだ。どうしようもなく落ち着かない。この胸から外れた空洞に入るパーツを探している。
それが機関の任務で――――任務? 機関?
機関の誰から受けた任務だ?いつ? どこで?
いや、そもそも、機関とはなんだ?
――――なぜ、ロクサスはここにいる?
「――――ここは『存在しないもの』が訪れる場所だ。ソラは『呪い』のためにここに引きずり込まれたが、君は違う。…………つまり、そういうことだよ」
声がする。頭が痛い。ロクサスは頭を押さえた。頭が痛い。右手のキーブレードを落とす。吐き気もする。黒いキーブレードが砕ける。気分が悪い。
自分の中の空白を強く感じる。
記憶の穴。心の穴。その意味――――過ぎ去った思い出が。
砕けたキーブレードの残滓を見やる。黒い鍵。XXXを離さないために、握ったもの。
そして。
ロクサスは。
「……………………そうか、俺は……あの時…………そうか…………そうだったのか…………」
セキがまた咆哮する。地面を爪でがりがりとえぐる。キーブレードを弱々しく握るロクサスに飛ぶかかった。
剣尖が貫き通る。
ロクサスは弱々しく笑った。
「思い出したんだ。……意味があった。俺たちには意味があるんだ。この心の旅には、意味があったんだ」
自分の腹部を貫くセキの腕にそっと手を添えて、ロクサスはセキの頭をコツンと叩いた。
「セキ。俺から言えるのはこれだけだ。
――――どんなものにも、答えはある。意味はある。それが自分の求めるものかはわからない。価値もわからない。けれどゼロじゃあない」
それを最後に。
ロクサスは、キーブレードを地に置いた。
「……おまえを……ソラに会わせるわけには…………いかない」
顔の無い怪物はキーブレードを翻した。鍔迫り合いを演じていた相手を吹き飛ばす。
ただそれだけで相手はよろよろとふらついた。とても万全とは思えないコンディション。仮に十全であっても顔の無い怪物に比肩する力量はないだろう。
先の鍔迫り合いで無様にも剣が遥か遠くの壁に 突き刺さってしまった。
まったく勝ち目はない。
それは相対する少年も理解しているはずだった。
しかし、顔の無い怪物は立ち止まった。
無視してもいい相手に足を止め、正面から向き合っている。
何か思惑があってのもの――――と、いうわけではない。
何か心を動かされたから――――と、いうこともない。
強いて挙げる理由は一切ない。
痛めつける嗜好でもなく、後ろから斬られる膨大な焦燥感もなく、機械的に、ただ現象として「攻撃されたからやり返す」。
差し当たり、向かってくることも突破を試みることもなく、しかし武器を下ろさない相手。しかしこれは能動的に叩き潰すほどの力量もない。
ぬるま湯に浸かるような硬直だった。
――――しかしそれで、この相手の2つの目的の内のひとつは達成されていた。ソラを追わせないという目的が。
そしてもうひとつは。
――――力を貸すよ。いこう。
顔のない怪物を前に、少年は空手を広げて――――光と共に、剣を握った。
それは鍵を象った奇妙な剣。黒いキーブレード。過ぎ去った記憶を思い出させる。少年の感傷。少年の執着。そして――――。
やめよう。少年は呟いた。今の俺の守りたいものはたったひとつだ。
キーブレードを片手に構える。
少年が走る。
キーブレードが走る。
最後の力が、地に落ちた。
薄れゆく意識の中――――思った。
この偽物を本物と信じてくれた心の支えに、せめてもの恩を返したい。そう望んだのに。
だが、希望は残っている。
地に落ちたキーブレードに手を伸ばす。指に触れる。念じる。
――――――――。
――――――。
――――。
――。
「…………」
影を抱いて、光は生まれた。
触れたキーブレードが宙に舞った。大きな右手が、差し伸べられる。
腕が上げられない。その手は、取れない。
「…………すまない……なさけなくて」
「いや……この闇の中で、たったひとりになっても諦めなかったんだ。あの日の俺より、お前は強い」
希望を見送り、偽物の少年は目を閉じる。
もう彼と同じ場所に行くことは、ない。
「――――さて」
リク=レプリカが握っていたらしい黒いキーブレード。
どこか見覚えのある気配がする。気になるが、今は――――リクは銀髪を払うように左手を振った。髪が長い頃の名残だ。少しばかりぎこちなくなってしまう。
武器は構えず、正面の顔の無い怪物に相対する。
リクには状況はおおよそ掴めていた。
ここにリクがいるのは『夢』から醒める寸前、最も『夢』と『現』の境界を彷徨った瞬間だからだ。
光と闇の狭間の存在として、夢と現実の間をすり抜ける――――はずが、運悪く/運良く、こうして波長の近い呼び声に手を掴まれてここまで流れ着いたということか。
似たような経験ならば、あの『忘却の城』で一度やっている。
あの時消滅を確認したリクのレプリカが今の今まで動いていたところを見ると、あまり時間軸が意味をなさない世界なのか、
もしくは世界をめぐり回りすぎて、いよいよ『死後の世界』とも呼べるものに片足を突っ込んだ――――か。
ソラとアンセムに続き、またも面倒に巻き込まれたということだ。リクも内心で肩をすくめる。一気にしわ寄せを食らっているのだ。大した貧乏くじ役になったものである。
「…………」
空手をポケットに突っ込み、リクは正面の顔の無い怪物を注視した。
過去――――リクの視点からすれば、おおよそ1年前――――消滅したはずのリク=レプリカが動き回っていた事実が知らせるのは、この世界の時間感覚の曖昧さだけでは無い。
『消滅したもの』、正しく『存在しない者』こそが、この世界に適応できる存在であるということ。半ば冗談ではあったが、『死後の世界』の形容はあながち間違えていないようだ。
仮にここがその『死後の世界』――――否。もっと抽象的に「そういう意味も持っている世界」であったとするならば。
当然、リクの目の前にいるこの怪物もまた、まともではないということだ。リクのように「招かれた者」「迷い込んだ者」でないのなら。
そして、ここ目の前の怪物は、相対してみるとよくわかるが――――ヒトではない。
ただ感性が鋭敏なキーブレード使いとは違う。人ならざる者を近くで見てその身に宿してきたリクだからこそ、その闇の種類を嗅ぎ分けられる。
「…………おまえ、思念だな」
顔の無い怪物は答えない。――――否。答えられない。
答えるための言葉を持たない。判断の指標になる心がない。記憶が無い。保存領域が欠落したPCのように、ただその場で打ち込まれたコマンドを実行する『現象』に過ぎない。
陽炎のようなもの。なにか、強く惹かれる『光』があると存在を現し、少しでも強い闇が刺してしまえばかき消えてしまうような、ささやかな幻影。
「――――さすがだよ、リク」
「……またあんたか」
背後からの声にため息混じりで返答する。最早嫌悪感を露わにすることさえも面倒な相手。嫌という程叩き潰しても、けろりとまた現れる。夜がまた更けていくように。
闇の賢者アンセム。腐れ縁というにしても、いささかくどすぎやしないか?
「そのヴァニタスもまた、世界に焼きついた闇の陽炎だ。同時に、私が時間を遡ることができる理由でもある」
「つまり、あんたみたいな闇は世界に焼きつくんだな。そして、この光でも闇でもない、時間からも外れた世界を自由に動き回れるようになるっていうことか?」
「その通りだ。この世界に留まる限り、闇の思念は私のことに集まる。13の闇も簡単に手中に収まるということだ」
確かに。リクは正面の顔の無い怪物――――ヴァニタスと呼ばれた『現象』を、闇の思念を再び見やった。
ヴァニタスは強力だ。それだけのリクも威圧感を強く感じている。キーブレードマスター級と見て間違いない。
おそらく、この世界ならばこのヴァニタスに迫る実力者も揃えられるのだろう。
「――――だからどうした?」
「ほう……?」
「俺たちが勝てばおまえの企みもそれまでだ。光も闇も永遠だとしても、おまえは永遠じゃあない。闇に頼るだけのおまえたちでは勝てやしない。
――――闇を乗り越える翼は、心は、誰もが持っている。人は闇の中の光を信じることができる。また日が昇るのを待つように」
「…………さながらそれは、夜明けの道を進むかの如く……君らしい答えだよ、リク。だが、人は君のように強くはない。君のようにはなれない」
「なる必要はない。俺は正解じゃない。俺は……俺だって――――間違える。だからこそ、人には隣に立つ大切な仲間が、大切な友達が必要なんだ。
……かつて俺をあんたから引っ張り上げてくれたような、つながる心が」
「それが君の答えか?」
「いいや。俺たちの答えだ」
アンセムが笑う。リクは押し黙る。右手がひくりと小さく跳ねる。
刹那――――ヴァニタスが消えた。
「いない……?」
超スピードとか瞬間移動ではない。リクの感知できる範囲から一瞬で消失した。なんの残滓も残さずに。
文字通り、自然に消滅したのだ。
「ヴァニタス。その名が表す様に彼は今や無の存在。
思念という殻がようやく実像を結べている状態にすぎない。まさしくもののけと言える存在だ。この世界には相応しい。私と同じように」
「なんだと?」
「今の私もまた、現象と似たようなものだ。リク。君とそのレプリカの心に残った闇の記憶が焼き付いた陽炎ということだ」
「…………」
リクは背後に視線を走らせる。
かつての宿敵の形をした幻影は、驚くほどその存在を霞ませていた。そのまま霧のように文字通り霧散していってしまいそうな。
「しかし我々がこうした亡霊のような姿に成り果てても、姿かたちを保とうとした理由もある」
「……わかってる。上にいるんだな」
「これまでと同じように、倒すというのか?彼らを?」
「出来ないわけはない。そうだろ?」
リクは薄れていくアンセムの脇を通り抜けた。アンセムもまた振り返ろうとしない。
敵ながら、近い存在ながら、彼らはわかり合えないことをわかり合っていた。
故に理解ができる。認められなくても、何を考えているのかは見当が付く。
言葉は不要だった。
敵としての怨嗟の声も、近しい存在としての叱咤もなく。
リクと背中合わせに、闇の賢者の幻影は、闇に溶けていった。