KH 4-03
ソラが入ったのは、白い空間だった。
中央にはクリスタルでできた大きな蕾のようなものが見える。その側にひとり、誰かが座っている。
金髪のワンピースを着た少女だった。
「……来たんだね、ソラ」
「ええと、君は……?」
「そうだね。あなたとわたしが出会うのは、もう少し先の話。……わたしの後悔のはじまり」
「え?」
「……わたしは、記憶の魔女。この子の願いをヒスイが作った装置で叶えるために、わたしが協力したわ。……結局、それはあなたをこの世界に縛り付ける呪いになってしまったけれど」
少女はスケッチブックを持っていた。ページをめくり、ある一枚をソラに見せる。
人と人が手をつないで輪になっている。みんなが笑っている。平和の絵。幸せの絵。おそらく、彼女のたったひとつの希望。
「わたしたちの願いはね。心をつなぐことだった。忘れられてしまったシオンと、あの子に戻っていってしまうわたしと……ロクサス。3人の夢」
「心を、つなぐ――――」
「私たちのことを今のあなたに教えられれば、願いを受け取ってさえしてくれれば、もしかしたら『痛み』は必要なかったのかもしれない。
今の私たちの努力で過去が変えられるなら、それはきっと素敵なこと――――だと思ってた。それがまさか、こんな形になってしまうなんて……」
「それは、俺が呪われたから?」
「ヒスイははじめから、あなたを呪うつもりだった。願いを届けるだけで留めずに、あなたをこの世界に引き込もうとしていたの。
最初はわたちたちも喜んだわ。だってあなた会えるんだもの。真っ先にシオンの心はあなたからもらっていた『力』と『記憶』を自分の手で返そうとしたわ」
思い出す。ソラがこの世界に来て初めてのこと。
黒ずくめの人。あれがシオンだったのだ。
置いていったのは『キーブレード』と『約束のお守り』――――『力』と『記憶』。
「でも、この呪いはわたしたちがいなくならなければ解けない。そしてあの無貌の王の存在も邪魔している。
わたしたちは後悔したわ。ヒスイの思い通り。彼女に騙されて、わたしたちはあなたをここに縛り付けてしまった……」
「そんな風に言うなよ。俺は、ここに来れてよかったと思ってるんだ」
「え?」
「いろんな人に会えたんだ。セキ、ビビ、他のキーブレードを使える人たち、ヒスイ……君にだって会えた。俺は、それが悪いことだとは思えないよ」
「……ほんとう?」
金髪の少女はソラをじっと見つめた。探るような目。
不安そうな彼女に向けて、ソラはやさしくほほえみかけた。
「ああ、本当だ。ありがとう、えぇっと……」
「わたしの名前、まだ言ってなかったね。わたしは――――」
「――――なみ……ね?」
思わずソラの口から溢れた単語に、ソラ自身も少女も驚きを隠せなかった。
湧き出るように、何もなかったところから/記憶の裏側から、それが出てきたのだ。
不思議な感覚だった。
目の前の彼女のこと。それに、さっきまで一緒に戦っていたあの栗毛の少年。
知らないはずなのに知っている。不思議な安心感がある。知らないはずの名前を呼べてしまうほど。
「ごめん……なんかおかしいな……?」
「ううん。つながってたんだね、わたしたち、最初から。きっとなにも特別なことがなかったとしても、わたしたちはめぐり会えていたんだと思う。……ほんとうに、バカなことしちゃったな。
もしかしたら、あのときマールーシャが招かずにわたしが会いに行っていたら、あんなことをしなくても、あなたはこうしてわたしの名前を呼んでくれたかもしれないのにね」
「よくわからないけれど……きっと会えてた。うん、俺もそう思うよ。俺もナミネもロクサスも、きっとどこかでめぐり会えてた」
「うん。……だからこそ、きっと、この子には必要だったんだと思う。あなたに会いたいと願っていたこの子には」
重苦しい音を立てて、クリスタルの蕾が花開いていく。
中央で眠っているのは青髪の少女。どこかカイリに似ている。
――――彼女の目を覚まさせる。罪悪感の悪夢から取り戻す。
ソラの手にキーブレードが収まった。だがこれは――――ソラ自身のものではない。
どこからか来た黒いキーブレード。手に持った時、どこか懐かしささえ感じた。過ぎていく記憶を結晶にした――――そんなキーブレードだ。
それを眠り続ける少女に差し出して、ソラは呼んだ。彼女の名前を。
「シオン」
黒いキーブレードがシオンに惹かれていく。かつてホロウバスティオンでリクに『取り戻された』際と同じ感覚だ。本来の持ち主の元に帰っていく。
黒いキーブレードが光の波に変わる。さざ波のような波紋と残響を残し、彼女の体に溶けていく。
シオンはゆっくりと、まぶたを開いた。カイリと同じ青い瞳で、ソラを映した。
「ありがとう、ソラ。ここまで来てくれて、私を許してくれて、認めてくれて……ありがとう」
シオンが笑いかける。その目には涙が溜まっている。
「よかったね、シオン」
振り返ると、ナミネの体は所々ぼやけていた。存在が希薄になっている――――消える。
「ナミネ!?」
「消えるんじゃない。わたしは、元に戻るんだから。ロクサスと同じようにね。……きっとわたしがここに来たのもシオンと同じ。
シオンの『痛み』はもう『記憶の魔女《わたし》』にしかわからないから。あなたに伝えたい、また会いたいと思ったからかな。
それに……やっぱり、あの夏の終わりのこと、ロクサスに謝りたかったんだ」
「……また、会えるよな?」
「うん。必ずね。たとえあなたがわたしを忘れてしまっても、あなたとカイリが会うときなら、いつでも」
「忘れないよ、俺。絶対に無くさない」
「……ソラは凄いね。心のつながり。ヒトとつながる力。
さすがは、カイリの――――」
言葉が消える。さざ波のような唇の動きを最後に。
ナミネ、ソラの前から消えてしまった。
その後にはスケッチブックが残っている。みんなが手を取り合って輪を作っている絵。笑顔の花。ナミネの夢。『痛み』がいやされる、遠い/近い未来のイメージ。
「……ありがとう、ナミネ」
口々にソラとシオンが異口同音を発した。
それしか言葉が見つからない。
貝殻を耳に当てるように、残ったこの部屋の残響に耳を澄ませる。そんな時間が幾許か過ぎ去った。
「行こう、ソラ」
「でも……」
「ここにいるのはナミネじゃない。私たちの悲しみだよ。そして、ナミネは悲しんでなかった。私たちがここに残るのは……変だよ」
「そうだな。俺たちも、ナミネも消えてない。……だから、歩き続けるんだ」