KH 4-04
炎が止む。その中心にいたハートレスもまた、動きを止めていた。
取り囲んでいた6人が各々に様子を伺った。ハートレスには動きはない。
女性の器を取った『男』が笑う。だが、『男』の手足は動かない。
『どうやら……この女の子が泣いているようだね。想い人か? カレシか?
それとも赤の他人にもこうなれる人間なのかもしれないな。なにせ勇者というやつは――――』
「黙れ!不完全な心の群体が、私に知った口を利くな!」
『自分を掻き集めて悦にいる変態にあれこれ言われるのは癪だが……このザマなのには変わりない。甘んじて受けてやろう。――――だが、いいのかなぁ?」
「なに……?」
『くす玉が割れる』
瞬間、セキが発光した。閃光を撒き散らし、炎が噴火し、箱庭の闇を呑み込む。
セキが疾る。白衣の男の眼前で爪を光らせた。五指が空を裂く。白衣の男は仰け反った。
構えなおした白衣の男の剣の腹に拳を叩き込む。そのまま剣を掴み、衝撃に怯んだ顔面に一撃を打ち込む。
救援に入った青年の剣の刺突を軟体生物のような動きでかわす。体を変形させる回避。人あらざるものとしての特性を十二分に扱い、攻撃と回避を両立させた。
「……ハートレスのままじゃないか……」
ヒスイの表情が曇る。飛び火を『反転』させて周囲に散らし防御する。
ロクサスが消滅した今、既にこの場所の意味はあのハートレスだけだった。
あのセキは『六貌』達の求める心には足りない。あのハートレスはただの障害物だ。駆逐の対象である。
しかし白兵戦では高速かつ変態的な動きで回避と攻撃を打ち込んでくる上、遠距離も炎で牽制してくるセキを倒すのは、それなりに厄介のようだった。
「強い心……とは、なんだと思うね?」
『六貌』のうち、老人がヒスイに歩み寄った。
「高潔、純粋、博愛…………混じり気がなく、ただ、強く、強く、強く……想いを高めていける心。そうとは思わないか?」
「……それで、私を見初めているということか?」
「我が高潔な世界のために、未来を切り開く鍵をやって欲しい」
「口説き文句としては三流以下だな」
「――――『反転』がある以上、拘束は出来ないと思っているのか?」
「……!」
老人は取り出した杖をヒスイに向けた。杖の装飾の蛇がヒスイを睨む。
ヒスイが身じろぎをする――――が、四肢は動かない。硬直している。メデューサに睨まれているようだった。
「やはりな。ハートレスに心を奪われた経緯からも、お前の『反転』が物理的・魔術的な現象にのみ働くことはわかりきっている。精神操作であれば……私にも心得がある」
老人が近づく。ヒスイは横一文字に唇を結んだ。
杖先が、頬に当たる――――。
「がああああああ!!」
瞬間、咆哮の音圧がヒスイと老人を押し潰した。
老人の杖が引きちぎられた。老人が吹き飛ぶ。
ヒスイの前に、黒い影が現れた。
セキ。ただのハートレス。無貌の王の指。
「それが助けた? 私を? ……なぜ?」
セキは答えない。動かない。
ヒスイは更に問いかける。
「なぜそんな……心があるみたいに動く!? ……いや、心があったとし、私はお前を道具のようにっ……心があるなら許せるはずがない。許されるはずがないんだ。
…………ああ、わかっている。『異能』以外に戦闘能力がない私はこの場で最も弱い。だから後回しにしているだけだ。無視しているだけなんだろ。
…………そうだと言ってくれ。でないと、私は…… ……いよいよどうしようもなくなってしまう。……頼むよ……」
セキは答えない。動かない。
――――否。震えている。セキは小刻みに揺れている。目から赤い涙を流している。
自分の内側で、何かと戦っている。怯えている。恐れている。
「…………」
ヒスイはセキの背中に手を当てた。手を伸ばす。その奥にあるものに向けて――――。
暗黒――――というより、様々な色が混じり合った世界。
宇宙のような幻想さで、その世界は揺れていた。
怨嗟。嘲笑。怒気。同情。いくつもの感情が仮面を付け、隠れ偽り、でたらめに縫い合わされたモザイクとツギハギの世界。
本来の形は、どうやらその渦の中で壊れ、崩れ、失われてしまったようだった。
器に中身は存在するが、ミンチにされてその形骸さえもなくしたもの。
喪失感に苛まれた黒い塊。けたたましい感情の乱流の中でも、それを探し出すことはそう難しいことではなかった。
黒い塊を、なにかが叩いた。脈打つような心地よさ。感情の雑踏の中でも通る凜とした声がそれに続いた。
「セキ! 手を伸ばせ――――!」
どうして、と黒い塊は疑った。
俺は道具だ。ヒスイの心を隠し保存するためのもの。鍵を持つものが来るまでの間の金庫だ。
役目を終えたそれがどうして、まだ動き出す必要がある?
「いいや違うよ……言ったはずだ、お前の心はお前のものだ。お前は、誰かに使われるだけの道具でいいのか?
悔しくないのか? だったらこの喪失感はなんだ? お前の心は、誰かの道具にされることなんて望んでないってことだろう?」
……俺は道具として作られたのに?
道具以外のモノになってもいいっていうのか? それ以外の意味を?
「それを決めるのはお前だ! ……お前の心に聞くんだ。俺たちは消えてしまう運命かもしれない。それでも! 必ず意味はある。ゼロなんかじゃない」
お前はどうなんだ? 見つけられたのか?
存在してはいけないと言われながら、自分の意味を?
「……俺は……俺の心は、最後にようやく、それを見つけた。だからさ。きっとできるよ。歩き続けていけるなら、きっとめぐり合える。
歩いてみろよ、セキ。与えられた役だけでいる必要はないんだ」
ロクサス……。
君に体を張らせてまでの意味なんて、俺には……。
「別にお前のためだけじゃないさ。……思い出したんだ。忘れていたことさえ忘れていたことを。俺はここからいなくならなきゃならない。
戻るんだ。元の居場所に。なんて言っても、俺がいなきゃ、ソラはだめなんだ。
――――きっと、現実なら凄く短い間だったんだろうけれど、いい夢が見れた。楽しかったよ。……俺の『自由《夢》』は、ここで終わりだ」
黒い塊が割れる。内側に眠っていた意識が、ずっと塊を叩き続けていたものに触れた。
光を司るキーブレード。白い鍵。
「――――約束だ」
宇宙の混沌を切って、手が伸びてくる。
「…………セキ!」
ヒスイの手だ。涙に溺れ、絞り出すような声で、手を大きく広げている。
ロクサスの白いキーブレードが落ちる。
握りしめようと伸ばした手のひら。――――もう、震えは止まっていた。
「…………ああ、約束する」
セキはゆっくりと口を開いた。炎ばかりを吐いていた口から、人間らしい言葉が落ちる。
「他人から与えられた役目を越える……俺の意味なんて大したものじゃないかもしれないけれど。それでも、歩き続ける。俺は俺の心を投げ捨てない。そう約束する。
そして、いつか星の海で会えた時は、夢の話をしよう。心が想う、未来の話をしよう――――」
セキはその手に持ったキーブレードに視線を落としていた。
ロクサスの白いキーブレード。それを掲げ、涙を流した。
「……ああ、そうだな。このまま俺がこれを持ち続けてしまったら、お前は元の世界に帰れない」
「――――やめて!」
アクアが声を上げた。浅黒い肌は未だ戻っていない。ただ、目だけが元の色に戻っている。
自分の体をキーブレードで傷つけて、膿を出すようにして自分を乗っ取った黒いものを吐き出した。よろよろとセキに駆け寄る。キーブレードに手を伸ばす。
「ロクサス……ヴェン! あなたは……!」
「ありがとう、アクア。できれば、また――――」
アクアがキーブレードに触れるよりも一瞬早く、ロクサスのキーブレードは消滅した。雪だるまが太陽に解けるように、崩れていく。
光の雫は風に運ばれ、炎で焼き飛ばされた大穴を抜け、空の彼方へ消えていく。
「ありがとう、ロクサス。…………ごめんな、アクア」
「彼が選んだことよ。あなたのせいじゃない」
「ありがとう、そう言ってくれると助かる。…………ありがとう、ヒスイちゃん」
「まるで添え物のような扱いは気にくわないが……こと今回は仕方ない。私は最後に手を出しただけだ。
地獄に垂らした蜘蛛の糸のようにな。お前がそれを手に取ったのは、ひとえにロクサスがお前の殻を壊したからだ。そうだろう?」
ヒスイは腕を組む。セキはただ微笑みかけた。
その姿に、怒声が突き刺さった。
「ふざけるな……ふざけるなよハートレス! 俺の指一本! それが貴様だ! なぁに立場もわきまえずに動いている!? ゲームにならないだろうが!」
アクアから吐き出された無貌の王だ。元の金髪金目の姿を結んでいる。元々アクアを乗っ取っていたものに吸収されていたはずだが、どうやらどさくさに紛れて『六貌』から逃げ出したようだ。
「悪いな、俺の生みの親さん。父親か母親かはイマイチハッキリしなくて面倒だから黙っていてくれ」
「言うようになったじゃないかドラ息子……!どうもそこの下女に乗っ取られた時間が長すぎたらしいな!ハードにその無駄な自意識というヤツが焼きついてしまっているらしい。
……刺青のようなものだな、まるで。彫られると二度と消せなくなる!この僕自ら、きっちりと丹精込めて溶鉱炉に投げ入れて素粒子レベルで分解しなければならないようだ!」
「おいおいクソオヤジ。手は出さないんじゃなかったのか? ……結構、まだ力を奪われているように見えるけれど」
「あぁん? 知るかぃボケが! この俺がルールだ! 俺が絶対だ! 俺が勝者だ! 俺が王だ!
この俺が! 俺こそが!!この俺をコケにするヤツ、見下すヤツ、逆らうヤツ、刃を向けるヤツ! 全員まとめてぶっ飛ばす!」
「一皮剥ければこの通りのジャイアニズムか……『無数の貌』らしくツラの皮が厚いってわけだな、お袋さん」
「ばかいえ。特に創造物は自分の一部だ。妥協を許さんのは当然であろう。――――貴様にはサービスしてやるぞ?
余に弓を引こうとしているにも関わらず畏怖を覚えていない貴様の態度、文字通りぶち壊して、骨の髄まで恐怖を思い出させてくれる!」
無貌の王はじろりと周囲の存在に視線を走らせた。セキのトリッキーさに翻弄されていたとはいえ、いずれも本来(真っ当に人間が可能なレベルの動作のみで戦った場合)は、
セキなど足元にも及ばない達人級の力量だ。体力は削られているが、致命傷を負った者は一人もいない。
「よかったなぁ、あのハートレスもキーブレードを握れる程度には心を強めたらしいぞ。思い通りか?満足か?あぁん?」
「……予想を越えている、と答えよう」
「当たり前だ。この我の予測範囲外のことなど、そうそう起こってもらっては困る。いいか、貴様らの不敬も誅罰の対象だ。
我の力の過半数を未だ保有できているからといって調子付くなよ。ミネラルウォーターのよう便利に使えると思うな。
……ククッ、どいつもこいつもこの我に銃口を向ける意味がわかっていないと見える。若い、青い、愚かしい。
哀れな道化ウイルスに骨の髄まで食い尽くされた馬鹿どもめ。地獄に落ちねばわからんようだな……!」
無貌の王が靴底を鳴らした。タップダンスのような軽快さで、二回。
途端に床全体が泥沼のように軟化した。闇の手が体に伸びる。この場の全員を呑み込もうとする。
「さぁかかってこい! 恐れを知らぬ壊れた心のクソ野郎共! 雁首揃えてその矮小な身の程を身に染み込ませてやるぞ!!
精々もがくがいい、地を這う芋虫が! キル・ゼム・オールだ! 貴様らの傲慢に満ちたその腐った心を駆逐してやろう!」